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現代の名工へ挑戦 1/2

  • 執筆者の写真: 喜盛 新垣
    喜盛 新垣
  • 2025年10月29日
  • 読了時間: 3分

新垣喜盛:伝統の三線に未来を宿した革新の物語

これは、沖縄の伝統楽器である三線(さんしん)の未来を憂い、その「不便さ(不)」を解消するために生涯をかけて革新に挑み、文化の継承に貢献した一人の職人、

新垣喜盛(あらかきよしもり)氏の現代の名工への挑戦の物語である。



第一章:赤犬子の地で培われた危機感

新垣喜盛氏は1941年、琉球古典音楽の始祖とされる赤犬子の地、沖縄県読谷村で生を受けた。豊かな文化と歴史的環境の中で育まれた彼は、三線への深い情熱と理解を礎とした。


1978年、新垣氏は沖縄市松本に「池武当新垣三線店」を開業し、職人から事業家へと転身した。しかし、彼が長年抱いていたのは、伝統的な三線が持つ根深い課題、すなわち「三線をやる人が減ってしまう」ことへの強い危機感であった。


当時の三線は、胴に張られたニシキヘビの本皮(本張り)が、演奏しなくても半年以内に破れたり緩んだりすることがあり、頻繁な張替えが必要だった。新垣氏は、本皮の持つ柔らかな音色を保ちながら、耐久性を飛躍的に向上させるという、伝統と実用の間の壁を打ち破る挑戦を開始したのである。





第二章:強化張り― 伝統と耐久性の融合

新垣氏の最初の偉大な発明は「強化張り」技術である。

彼は長い試行錯誤の末、土木用のシートにも用いられる合成繊維製の人工布**が補強材として最適であることを見出した。


この技術では、まず胴の木枠(チーガ)にこの特殊な合成繊維を張り付けて補強し、その上からニシキヘビの本皮を張り合わせる。


この手法により、製作時の本皮の破損が激減し完成後の三線の耐久性が向上した。


その結果「強化張り」は、従来の「本張り」に遜色のない柔らかな音質を保ちつつ、人工皮並みの耐久性を兼ね備えるに至った。演奏者は本皮の破損を心配することなく、自身のペースで練習に打ち込めるようになったのである。



名工の選択:特許放棄の哲学

この画期的な技術は1991年に「三味線製造方法及び装置」として特許出願された。しかし、新垣氏は敢えて特許を取得しないという道を選んだ。


特許を取得すれば、店が独占的な利益を得られるにもかかわらず、彼は特許料を上乗せして価格を上げることを望まなかった。そして何より、

当店だけしか作れないとなると業界自体が発展しない」と考えた。


三線を普及させるため、彼は自らの発明の独占権を手放し、技術を業界全体に共有するという、文化的な責任感に基づいた決断を下した。


この行動は、彼が単なる職人ではなく、沖縄音楽の文化的健全性に対する広範なコミットメントを持つ人物であることを示している。

 
 
 

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